top of page
  • 執筆者の写真久典 加藤

知野敬太君の「インドネシアのエッセイ」を掲載します。

4年生で2017年度副ゼミ長の知野敬太君が、8月末から1か月間ジャカルタのナショナル大学で短期語学留学を行いました。就職決定後、これまで学んできたインドネシア語をさらに上達するためにホームステイをしながら充実した時間を過ごしました。知野君がその時の体験を日本語とインドネシア語で記録しました。是非、読んでください。

タイトル:「自分は何者なのだろう」 

“Apa identitas saya?” “Apa saya manusia?”

インドネシアに来てから、時折そんなことを考える。

Sejak saya datang ke indoneisia, saya kadang-kadang berpikir seperti itu.

それはいつもある一つの質問がきっかけで。

Satu pertanyaan itu yang selalu menjadi pemicunya.

「あなたの宗教は何?」

“Anda memeluk agama apa?“

日本ではめったに耳にしない言葉だろう。私自身、使ったことがない。しかし、インドネシアでは「どこから来たの?」「あなたの好きな食べ物は何?」それらと同じようなテンションで使われる、鉄板ワードである。こちらに来て約3週間が経過したが、思い返せば、友人や先生、ホームステイ先の家族、さらにはご近所さんなど、何人もの人からその質問をぶつけられたことだろう。

Kalau di jepang, mungkin anda jarang mendengar kata ini. Tentu saja, saya juga belum pernah menggunakan kalimat ini. Akan tetapi, kalau di Indonesia, kalimat ini memiliki penekanan yang sama seperti pada kalimat “Anda berasal dari mana?” “Makanan apa yang anda paling suka?” Selama kira-kira 3 minggu, saya ditanya banyak kali tentang ini oleh teman-teman, dosen, keluarga homestay, tetangga dan lain-lain.

インドネシアには「パンチャシラ」という国家原則がある。その第一項には「唯一神の信仰」が掲げられていて、国民の個人カードには宗教を記載する欄も存在する。つまりインドネシアにおいて宗教を信仰することは義務であり、至極当たり前のことである。では、そんな彼らに対し、「無宗教」なんて答えたらどんな顔をされるのだろうか。

Di Indoensia, ada dasar negara, yaitu “Pancasila”. Di dalamnya, sila pertama tertulis “Ketuhanan Yang Maha Esa”. Dan dalam KTP ada kolom untuk agama. Oleh karena itu, di Indonesia mempercayai agama adalah kewajiban dan itu hal yang wajar. Jadi, jika saya menjawab “tidak beragama” kepada mereka, saya tidak bisa membayangkan bagaimana wajah mereka?

そしていつも私はその質問に対し、「仏教」と小さな声で応える。それ以上、何も聞いてこないで、、と強く願いながら。

Akhirnya saya menjawab dengan suara kecil, “Buddha”. Sambil meminta jangan bertanya apa pun lebih dari itu…

 日本で生活する上で宗教への知識や関心が重要視されることは少ない。ましてやそれが個人のアイデンティティとして認識されることなんて尚更だ。ただ、世界に目を向ければ、宗教と人間の関係性は一変する。知らなければ恥。それどころか人間性を疑われかねない。

Kalau hidup di Jepang, ilmu dan minat tentang agama hampir tidak begitu diutamakan. Apalagi yang dianggap sebagai identitas tidak ada. Tetapi, kalau kita melihat di seluruh dunia, hubungan agama dan manusia sama sekali berbeda. Kalau tidak tahu, mungkin akan memalukan. Bahkan saya mempertanyakan “keberadaan saya sebagai manuasia” saya.

 自分の宗教のこともまともに知らない私は、この国においてどんな存在なのだろう。町中にゆったりと流れるアザーンを聞きながら、そんなことを考えている。

Saya yang tidak tahu tentang agama sendiri, bagaimana keberadaan saya di negeri ini? Ketika saya mendengar kumandang azan dari berbagai penjuru kota, saya memipikirkan hal itu.

●知野敬太君からのコメント

「今回の滞在でインドネシア語の上達はもちろん、自分の世界の広がりを感じることができました。今後も継続的に努力を続けます。」

●ファディラ講師(ナショナル大学指導教員)のコメント

「一か月という短い時間でしたが、驚くほどインドネシア語が上達しました。これからもインドネシア語自分で勉強してください。」

●加藤教授のコメント

「4年生になって、インドネシア語をこれからの人生に生かそうとする姿勢は素晴らしいです。」

bottom of page