●東南アジアからの便り②:ゼミ生のエッセイ「スラバヤで考えたこと:知らないことを知るということ」

東南アジアに留学中の学生からエッセイが届きました。普段は学術的な文章を書く練習をしますが、このエッセイは自分の感情や思いをもとに書かれています。ゼミでは稀なことですから、皆さん楽しんでください!


今回は4年生の吉田理湖さんのエッセイです。


「スラバヤで考えたこと:知らないことを知るということ」


アイルランガ大学の学生は本当にひたむきに勉強している。

寝ていたり、講義に関係ないことを話したり、スマホをむやみにいじる人もほとんどいない。

何よりもここで日本語を学んでいることにそれぞれが誇りを持っているようにみえる。



9月6日、午前中は2年生のコミュニケーションの授業に参加した。

クラスには30人くらいがそれぞれペアを組んでいて、宿題として考えてきた会話を覚えてみんなの前で発表する。趣味、休日の予定、将来の夢を会話の中に織り交ぜて、そこそこ長い言葉を暗記する。みんな2年生とは思えないほどしっかり内容を考えて、覚えてくる。もちろん忘れてきたりする人はいなかった。





その授業で、ある学生と友達になった。その学生はスラバヤに住んでいて、日本人の私たちと積極的に話してくれた。ゲーム、アニメ、マンガのこと。ジャワやスラバヤの言葉なども教わった。色々な言語の話になって、私たちは英語を使って話し始めた。

すると、彼はイギリスやアメリカの社会をどう考えるか聞いてきた。私はあまり深く知らなかったから、雰囲気で答えてしまった。


すると、彼はこう私に言ってくれた。

「その国の政治や今の社会の事を知っている?もし何も知らないのなら、その国の事を判断したり、評価することはできないよ。りこさんといつか話せるのを心待ちにしているよ。」

私は正直ショックだった。自分がこんなにも世界のことを何も知らないという事実に今やっと気が付いた。もちろん私はもっと世界のことを知らなければと思った。

でも、どんな人も世界のすべてを知りつくすことはできない。だからこそ、気安く物事を判断してはいけないのだと思う。

どんな国も、宗教も、人も、自然も、そのすべてを理解できているわけではないと知らないといけない。

大人になって少しは世の中のことを知れた気になっても、自分の見ている世界が全てではないことを覚えておきたい。