●東南アジアからの便り⑤:ゼミ生のエッセイ「スラバヤで考えたこと:外国で自国について知る」
東南アジアに留学中の学生からエッセイが届きました。普段は学術的な文章を書く練習をしますが、このエッセイは自分の感情や思いをもとに書かれています。ゼミでは稀なことですから、皆さん楽しんでください!
今回は4年生の佐藤大智さんです。
「スラバヤで考えたこと:外国で自国について知る」
まずインドネシアのスラバヤでの日常について少し書いていきたい。インドネシアに来て26日目になる。あと4日、完全に最終盤に差し掛かっている。こっちの文化や環境にもかなり慣れて、苦を感じることもあまりない。「みんな同じ人間、インドネシア人ができて、自分にできないことはない」という精神が役に立っているように我ながら感じる。トイレも手を使って食事をすることもここでしかできないことだからと楽しんでいる。
また本当にここまで多くの友達に恵まれ、多くの町の人々に生活を支えてもらった。本当に優しく、明るく、おもてなしの心にあふれた人たちだ。彼らの温かさをもっと多くの人に知ってもらいたい限りである。
ここでアイルランガ大学生についても少し触れておきたい。彼らは、猫を被ることが日本人の学生に比べ、比較的少ないと感じる。全員がほぼ初対面であるにも関わらず、バスの中で曲がるとみんなで大合唱が始まったりする。ほんとうににぎやかですぐに輪が生まれ、仲良くなっていく。そして輪がすでにできていても、そこに新しく来る人をいつも大歓迎で迎え、輪に入れてくれる。また研究のためのインタビューでも、「マイノリティーからみたインドネシアの寛容性」という少しセンシティブな話題にも関わらず、いつも熱心に答えてくれる。インドネシア人は本当に受け入れる心にあふれた人々であると感じる。
すこし長くなってしまったが、ここからエッセイの本題に入っていきたいと思う。
スラバヤの市役所の地下は博物館になっており、スラバヤの歴史を写真や絵画とともに知れるようになっている。そこにはなんと日本人の姿や日本人の個人商店が映った写真や絵が置かれていた。太平洋戦争で日本がインドネシアを占領する半世紀も前から、多くの日本人がインドネシアに来て、生活をしていたという。からゆきさんや商人をはじめとした明治維新を海外から支えたたくさんの日本人の存在、日本で光を浴びることの少ない彼らの存在を知ることができた。これ以外にも「千代田」や「大和ホテル」といった日本語の名前が以前つけられていた建物がスラバヤには現在も残っている。日本とインドネシアの関わりの深さに触れられるのがスラバヤという町であった。
またアイルランガ大学の学生の中には日本のことを勉強をしている日本研究学科の学生がいる。そのため彼らから自分も知らない、あるいは気づいていない日本社会や日本人についての特徴を知ることができる。とくに日本人の武士道と過労死の関係性を研究している学生やからゆきさんについて研究している学生が多く見られた。私は日本人であるにも関わらず、からゆきさんの存在をほとんど知らなかったし、武士道と過労死の関係性について考えたこともなかった。日本を出ることで日本社会の良さや問題点について、あるいは日本の歴史についてより深く知れるということを身をもって体感することができた。
加えてインドネシアでの日本製品の多さ、モールでのコスプレイベントの盛り上がり、日本人だと聞くと周りの人がみんな集まってきて、おもてなしをたくさんしてくれる、日本人であることを誇りに思えた。
日本を出ることで、日本という国を、日本人をもっと知ることができた。
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