●東南アジアからの便り⑨:ゼミ生のエッセイ「シンガポールで考えたこと:『考えること』と『何も知らないこと』について」

東南アジアに留学中の学生からエッセイが届きました。普段は学術的な文章を書く練習をしますが、このエッセイは自分の感情や思いをもとに書かれています。ゼミでは稀なことですから、皆さん楽しんでください!


今回は4年生の関万葉さん、第3弾です。


「シンガポールで考えたこと:『考えること』と『何も知らないこと』について」


シンガポール生活も残り1ヶ月を切った。ここに来た日は遠い昔のように感じるが、ここで過ごした毎日は昨日のことのように思い出される。

日本にいた時よりも、毎日、いろいろなことを考えてきた。

不思議なもので、日本にいるということも中央大学で勉強するということも永遠のものではない(かもしれない)のに、ここでは、ここにいられる時間が限られているという思いがより強く働き、小さなことからもたくさんのことを考え、学ぼうとしている自分がいる。

道端の草木や、駅前で見かける障がいの人や、食堂の天井、目の前にあるご飯、そして授業など、毎日の小さな刺激から「なぜそこにいるのか、これはなぜこんな形なのか、こんな色なのか」という疑問が生まれ、それに対する仮説を考えたり、その疑問についてどう思うか友達と議論したりしている。

身体は疲れているのに脳がまだ興奮していて、何でこんなに色々無駄なことを考えてしまうのだ、と思いそれで眠れないこともある。

その理由、のようなものがないか調べてみたところ、ある脳科学者がこう述べていた。

どんな人間でも、意識がある時は何かを考えている。考えていることに意味はなく、ただ脳の動きが鈍らないように脳を動かしているだけだと。

確かに私は、電車の中でこの文章を書いている間も、目の前の人の服がどこの店のものなのか考えたり、この後の予定のことを考えたりしている。

内容が何であれ、人は、少なくとも自分は、確かに常に何かを考えている。

この、人間は考える生き物だという聞き覚えのある共通理解のようなものを再認識してから、自分は以前より自分の考えを少しだけ整理できるようになった。

まだ寝る前に色々考える癖は抜けていないが「自分の考えている事に意味はない」「考えるのは人間だから当たり前」と思うようになってから、気持ちが少しだけ楽になった。

他にも、

自分は何者でもなく、自分は何も知らない、だから、興味がある。

という姿勢が、勉強に限らず「学び」において重要であることも分かった。


人間は常に、何かを考えている。その考えが、その人自身や誰かにとって意味があろうが、無かろうが、常に脳を動かしている。

その事実と、「自分は何も知らない、だから知りたい」という学ぶ姿勢を忘れないことは、外国で生活をする上で、人間として生きていく上で非常に重要なことかもしれない。

残りの数日間も、毎日いろいろなことを考え、そんな自分を受け入れながら、健康に過ごしていきたいと思う。


写真① 美味しいお粥


写真② シンガポールの夕日


写真③ マーライオンの後ろ姿